忘備録 【ソ連文化史に関して】

今は主にショスタコーヴィチ関連。

ショスタコーヴィチ研究の現状は?

ショスタコーヴィチ研究において、ヴォルコフの『証言』に縛られるのはやめましょうよって動きが主流になってから、もう20年くらい経つと思うんですが、じゃあ今はどのようにして研究が行われているんでしょうか

最も引用される文献はどれなんでしょう

ローレル・フェイですかね、グリークマンへの手紙ですかね、それが気になります

日本では、音楽之友社から出てる、千葉潤さんの『ショスタコーヴィチ』が、一般的にはメジャーなのかなって思いますが、あれって大衆向けに書かれたと思うので、研究者が参考文献として頻繁に使うのかどうかはまだよくわからず。

そろそろ、最近のショスタコーヴィチ研究を読んでみてもいいかな〜なんて思っているところです

もしかしたら楽譜そのものの研究が主になってるのかもしれないし。

前衛芸術ってなんだろう

ショスタコーヴィチって、「前衛」にカテゴライズされることってほとんど無いですよね

似たような理念を持っていた演出家のメイエルホリドや詩人のマヤコフスキーは、「前衛」にカテゴライズされることもあるのに、

ショスタコーヴィチはまず無いですよね

 

ソ連共産党に認められる作曲家になって生き延びたから、っていうのが理由なのでしょうか

演劇における「前衛」はなんとなくわかりやすいけど、

音楽における「前衛」ってなんだったんだろう

調性音楽は「前衛」には入れなかったのでしょうか

記憶の歴史化

(タイトルの「記憶の歴史化」という言葉は、梅津紀雄さんの言葉をお借りしました)

 

ショスタコーヴィチ関連の本や論文を読んでて、思ったことがあります

 

ショスタコーヴィチの死後、彼の「本当の意図」を語ろうとした人たちはたくさんいて、

でももう彼はこの世にはいないから、みんな、頭の中の記憶を引っ張ってきてそれを語り始めたんですよね、

グリークマンの書簡集は紛れもなく本人が書いたものだ、とは言っても、あそこについてる注釈はグリークマンの「記憶」から出てきたものですし

 

ソ連時代は自由になんでもかんでも出版できたわけじゃないから、みんなソ連「後」に語ることになったんだろうけど、梅津紀雄さんの言うには「記憶の歴史化」が行われているみたい

 

これって、ショスタコーヴィチ以外の芸術家を語るときにもあった現象なのでしょうか

ってことが、最近気になること