『グリークマンへの手紙』和訳 p.3
前書き
精神的な不安を持ったまま、長い迷いの後、私はD. D. ショスタコーヴィチの手紙を出版することを決意した。
彼ならばこの試みについてどう思ったであろうか、と執拗に考えずにはいられない。
何しろ、これらの手紙は、特定の秘密や機密は書かれていないとはいえ、それでもなお、私に、私だけに宛てられた手紙なのだ。これらは、公表や、万人からの閲覧を前提に書かれたものではない。
確かに、彼が私に宛てた手紙の1つを、論集「I. I. ソレルチンスキーに捧ぐ」(1974)に載せて私が出版したことについて、ドミトリー・ドミトリエヴィチは何一つ苦言を呈さなかったということが、私の気持ちをいくらか楽にしてくれる。しかしあれは、亡くなった親愛なる友に捧げられたものだったのだ。
晩年、ドミトリー・ドミトリエヴィチは、亡き芸術家たちについての回想記を書いてくれという多くの依頼に、非常に憤慨した反応を見せた。彼が私に言うには、「まったく、私は文学者でもないのに、何故あんな依頼を私に寄越すんだ?それにそもそも、その回想記とやらは誰が求めていると言うんだ?私の死後、イリーナ(・アントーノヴナ)が、私の『回想記』を書いてくれなんて頼むために御百度を踏んだりなどしないことを願うよ。」
私は「回想記」という言葉を括弧に入れたが、それは、この言葉はいつもきまって軽蔑と皮肉のニュアンスを含んで発せられたからである。しかしながら、ドミトリー・ドミトリエヴィチは、彼自身が述べたように、ミハイル・ゾーシェンコについての「何か」を書きたがっていた。「彼についてならば、もし能力が足りれば、書いてみないこともないかもしれない。」しかしこの望みが実現することはなかった。
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