記憶の歴史化
(タイトルの「記憶の歴史化」という言葉は、梅津紀雄さんの言葉をお借りしました)
ショスタコーヴィチ関連の本や論文を読んでて、思ったことがあります
ショスタコーヴィチの死後、彼の「本当の意図」を語ろうとした人たちはたくさんいて、
でももう彼はこの世にはいないから、みんな、頭の中の記憶を引っ張ってきてそれを語り始めたんですよね、
グリークマンの書簡集は紛れもなく本人が書いたものだ、とは言っても、あそこについてる注釈はグリークマンの「記憶」から出てきたものですし
ソ連時代は自由になんでもかんでも出版できたわけじゃないから、みんなソ連「後」に語ることになったんだろうけど、梅津紀雄さんの言うには「記憶の歴史化」が行われているみたい
これって、ショスタコーヴィチ以外の芸術家を語るときにもあった現象なのでしょうか
ってことが、最近気になること